働く理系女子 妊娠の記録(40週目)
働く理系女子、妊娠の記録シリーズ第21弾です。
思い出せる範囲でざっくり、39週目の記録。
まとめ:ずっと陣痛(悲)、病院には大げさに伝えて早く入院させてもらったほうが良かった気がする(反省点)
やっていたこと
・ひたすら目を開けて深呼吸、痛みに耐える
※目を閉じていきむと充血するとのことだったので。
・陣痛カウンターで間隔を測る(72時間+αだったので、途中心が折れてカウントしない時もあり)
症状
・下痢のような腹痛がずっと続き、その数時間後に出血(おしるし)、
その後、ずっと周期的な痛み(にもかかわらず病院に入れてもらえず、夫も来てくれず、絶望的だった記憶しかない悲)
・3日間+αくらいの間、5~15分おきの陣痛で3日間ほぼ徹夜(正直全然早く来てくれなかった夫が今でも恨めしい苦笑)
40週0日:
10km弱朝ジョギング、22時ごろからずっと下痢かなと感じる腹痛があり、トイレに何度も行くが、何も出ない
40週1日:
下痢っぽいのが治らず、何回か起きてトイレで苦しむこと数回、
赤く出血していることに気づき、前駆陣痛or陣痛ということに気づく。
陣痛カウンターで数え始めると痛みがいきなり5分間隔になる。
夫に連絡して一応病院に電話してみたところ、前回の妊婦検診で子宮項が全く開いていなかったため、一時間様子見てから再度連絡くださいといわれる。
その後10分~15分間隔になり、病院に電話してみると、
もっと規則的・痛みがどんどん強くなってきたら連絡してくださいと言われ、けっこう絶望する。
朝10分間隔、昼15分間隔、夕方40分間隔、夜5-10分間隔が続く。
横になると痛く、椅子に座ると痛くない事が判明、
座って腹式呼吸と言い聞かせながらお腹のふくらみを見て耐える。
40週2日:
検診で病院にいく。
朝10分間隔、昼15分間隔、夜5-10分間隔が続く。
病院までのバスから降りるとき、痛くて降りるのにも支障が…
しかし、子宮口が開いていないと言われ悲しみに暮れながら帰る。
夕飯を食べる余裕が少しあったため、実家で珍しい牛肉入りの(笑)すき焼きを食べる。
40週3日:
ほぼずっと5-10分間隔が続く。絶望的(悲)
あまりの痛みと眠気(この数日間ほとんど睡眠無し)のため、体力のある私もさすがに疲労困憊する。
昼に電話を掛けるものの、病院からまだねと言われてしまう。
夜八時ごろ、見かねた母が電話かければというため、再度電話し、やっと病院に行けることになる。
しかし陣痛もかなり痛く、3分間隔のため、タクシーに乗ることすら厳しい+車内の揺れも痛い。
この時私のことを全く振り返ることもなく、父が呑気にテレビ見てお酒を飲んでいたことは悪い意味で今でも忘れられない…(-_-)
私は夫と別居のためずっと一人で耐えましたが、男性陣、こういうところが重要になってくるんですよ、ほんとに…
ただし、母と二人で痛みに耐えたり分娩に立ち会ってもらったことは、とても良い思い出になりました。
病院に到着後、すぐに分娩台に乗せられてあと2時間くらいで出てくるのではないでしょうか??などと言われ、それなら耐えられそう!と思っていたら、、、
・ものすごい強さの陣痛にもかかわらず子宮項が6cm程度しか開いていない
・赤ちゃんの心音が下がっている
といった理由から、最終的に緊急帝王切開になってしまいました。。
40週4日:結局、緊急帝王切開で無事に子供が出てきました。
あれだけ逆子のために費やした4か月間…と思うと涙が止まりませんでしたが、
無事に出てこないことももちろんあるので、無事に出てきたことを感謝しました。
まとめ:ずっと陣痛(悲)、病院には大げさに伝えて早く入院させてもらったほうが良かった気がする(反省点)